アメリカ・インディアンの知恵
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アメリカ・インディアンがメディスンといえば、それは単なる薬や医療技術ではなく、人の心身を健康に保つ教えや、健全な生き方そのもののことです。
その導き役として人を助ける天職を授かった人々がメディスンマン、メディスンウーマン。
薬草療法に強い人もいれば、癒しの儀式を司るシャーマンもいて、村中から賢者として慕われ尊ばれる存在です。
シンプルで自然な生き方の価値に気づかせてくれるのは、長老やメディスンマンだけでありません。
ごく普通のお年寄りの思い出話にも、若い世代の体験談にも、子どもの言葉にも、教えられることは多いのです。
笑っている場合ではない。だから笑う
アメリカ・インディアン社会では、笑いは人生や社会を円満にしてくれる神聖な行為として尊重されてきました。
疲れたら、笑う。
困ったら、笑う。
苦しみを笑いで吹き飛ばす。
どんなに深刻な状況でも、シリアスな儀式の場でも、笑いだけは絶やさないのがアメリカ・インディアン独特の生き方です。
軽口、冗談、揶揄やおふざけは、人の健康と健全な社会の維持に欠かせないメディスンなのです。
ポジティブな笑いにはどんなネガティブな感情も吹き飛ばすパワーがあり、鬱に落ち込み絶望の淵にある人を一気に確かな足場に引き戻す、強力なエネルギーがあります。
笑いはアメリカ・インディアンのサバイバル精神を支えてきた奮発力なのです。
死は恐れるに足らない
アメリカ・インディアンにとって、死は生命の終焉ではなく、魂が肉体を離れ、本来の住処である精神世界に戻る節目にすぎないのです。
死を恐れる必要はないのですが、同時に、来世に心おきなく歩み去るためにも、この世での人生に自分なりの最善を尽くすことが大切だと考えます。
彼らは死をタブー視せず、自然の流れとして自分の死も他人の死も受け入れる心構えを、物語を通じて子どもたちにも教えてきました。
人の魂は死後数日間かけてこの世での精算を済ませた後、肉体を土に返し、精神世界に旅立つとみられています。
高速社会の弊害
人の暮らしは20世紀以降、急激に加速してきました。
私たちは祖先が徒歩で歩んできた人生を、列車、自動車、飛行機、さらには音速をも超えるスピードで駆け抜けようとしています。
情報通信革命で、情報量もかつてとは比較にならなりません。
昔に比べて恵まれているかといえば、そんな保証はないのです。
高速社会のなかで、私たちは、社会の、職場の、家族の、そして自分自身の期待に応えようと、無理しているという自覚もないままに無理を重ねてしまいます。
毎日の暮らしから学ぶ
スケジュールを詰め込むのをやめ、一つひとつの行いをスローダウンすれば、毎日の生活が貴重な学びの教室に変わります。
失敗したり、挫折したときにはことさら、遅れを取り戻そうとあせるのではなく、立ち止まり、一歩下がって、周囲をゆっくり見回す必要があります。
スローダウンすれば、私たちも毎日の暮らしの断片から、周囲や自分自身の行為から、学ぶ態度を身につけることができます。
シンプルで豊かな衣食住
白人の侵略以前のアメリカ・インディアンの世界では、人は、健康で、長寿で、部族社会は円満だったと言われてます。
そうした健全な文明を千年もの間、維持できたのは、人々が自然の中で自然を生かして衣食住をまかなうという、スローでシンプルな生き方を守っていたからです。
過酷な自然のなかで自給自足の暮らしを続けるためには、自然の恵みを十二分に生かす想像力とクリエイティビティこそがサバイバルのスキルとなります。
日や月の巡り、風の向き、動物や鳥、虫の動きなど、自然の営みと濃密にかかわり、サバイバルに不可欠な人とのつながりを尊重する生き方のなかで、身のまわりの自然や人への感謝が人生論の第一箇条となったのです。
いまに残るアメリカ・インディアンの様々な儀式や芸能も、つきつめればすべて感謝の心の表現であり、それを次代に教えていくためのものです。
地球はひとつの生命体
アメリカ・インディアンの信仰は、地球を永続させてきた大自然の「大いなる神秘」に整合性を見いだし、見えない精神世界の存在と創造主の意図を認めるものです。
精神世界は物質世界の裏にある自然の一部で、人も動物も草木も、生き物はすべて、精神世界に棲む魂が物質の形をとったものだといいます。
自然はすべての生き物の精神と物質の微妙な調和とバランスで成り立っており、その自然をかき乱さずに生きる限り、人類も安泰だという絶対的信頼があります。
アメリカ・インディアンの教えはすべて、地球はひとつの生命体で、そこに生きる生き物は、草木も動物も人間もすべてはかかわりあっている、という悟りに基づいているのです。
人、動物、鳥、魚、虫、草木、地球の生き物はすべて日や月の巡り、雨、風、火の影響を受けながら、お互いにかかわりあいながら生命循環を続けています。
だから、天空を父とし、大地を母として畏敬し尊重するのです。
物への執着を捨てれば、生きやすくなる
アメリカ・インディアンの社会では、行事を執り行う側が、来てくれた人に感謝して物品を贈呈します。
英語ではギブ・アウェイと訳されているこの風習は、文字通り「贈る」というよりは「放出」に近いのです。
贈り物は、リサイクル感覚で要らない物を放出するのではなく、自分たちが大切にしてきたものをあげてしまいます。
アメリカ・インディアンの社会では、裕福の定義は、より多くを人に与えることができることです。
ギブ・アウェイは物欲にとらわれず、周囲への感謝と協調の精神を忘れずに生きていく姿勢のあかしで、人はしょせん、何も持たずに生まれ、何も持たずに死ぬのです。
どうあがいても人の魂の究極の目的地である来世への旅路には財産は持ち越せないのだし、物に執着すれば、本当に精神的に豊かな生き方はできなくなるというわけです。
ギブ・アウェイは物品だけではなく、過去への精神的な執着をも断ち切る役割を果たすものだったのです。
過去の思い出がまつわる品々を一切手放し、身ひとつになることで、精神的に生まれ変わり、新たな気持ちで人生を再出発するのです。
ビジョン・クエストの教え
モホーク族の間では、気づきを触発するための伝統の儀式、絶食の儀式も近年になってさかんに行われるようになったそうです。
絶食の儀式は、アメリカ・インディアンの部族社会で広く実践されてきた風習です。
絶食し、心身を清め、山に入り、自分の聖域を決めたらそこに留まり、大自然と一体となり天啓を待つのです。
その究極の目的は、日常の意識では知覚できない精神世界を生身で体験することです。
迷いを捨て価値ある人生を見いだしたいという真摯な祈りが天に通じれば、鳥や動物が、雲や風が創造主の遣いとして囁き、将来へのヒントとなるビジョンを届けてくれると信じられてきました。
そのため、ビジョン・クエストは天と個人の間で起こる極めてプライベートで神聖な体験とされています。
大切なのは、人生のいつか、どこかでたちどまり、自分が人生で、社会で果たすべき役割を認識し、真摯に生き始めることです。
そうすれば、幸福は手の届かぬ先ではなく、自分の心の中に発見できるのです。
人ひとりひとりが自分なりの幸福を見つけ、常に周囲への感謝の気持ちを忘れずに、自分自身と、他人と、社会と、自然とかかわっていければ、円満な社会、健全な地球を維持、発展させていけるはずです。
著者紹介
エリコ・ロウ(Eriko Rowe)
早稲田大学第一文学部文芸専攻卒。コピーライターを経て渡米、ニューヨーク大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。フリーランス・ジャーナリストとしてNHKの報道・情報番組取材の他、新聞・雑誌などで幅広く活躍中。ニューヨーク州イサカのエコビレッジ在住。
主な著書に、『心がやすらぐヒーリング・メッセージ』『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』『聖なる旅の教え』『バウワウ―アメリカ・インディアンの今日を無駄にしない教え』などがある。
■ アメリカ・インディアンの知恵
■ エリコ・ロウ/著
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記事引用サイト:精神世界の叡智