オーストリア ウィーン
Schonbrunシェーンブルン宮殿
巧みな婚姻政策によってヨーロッパに君臨し続けたハプスブルク家が、かのヴェルサイユ宮殿を凌駕せんとして建てた夏の離宮。17世紀末、レオポルト1世がバロック建築の巨匠フィッシャー・フォン・エルラッハに命じて建設を開始するも、資金難のために工事は中断。孫の女帝マリア・テレジアによって、内装は優美なロココ様式で統一され、両翼の端から端まで約180mもある現在の威容に生まれ変わりました。
6歳のモーツァルトが御前演奏をした鏡の間、高価な紫檀をふんだんに使った百万の間、東洋趣味を取り入れた漆の間など、贅を尽くした部屋は全1441室。そのうち45室が一般公開され、フランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネットのサロンも見学することができます。ナポレオンが逗留した部屋、ウィーン会議の行われた大ギャラリーなど、歴史の舞台も数知れず。驚くべきは、3〜4階が賃貸住宅となっていることで、宮殿が住まいとは何ともうらやましい限り。
シシィの愛称で知られるエリザベートも歩いたであろう幾何学的配置のフランス式庭園。世界最古といわれる動物園、日本庭園、大温室などを擁し、整然とした美しさで訪れる者を魅了します。ネプチューン噴水の背後に聳えるのは、戦勝記念堂のグロリエッテ。息を弾ませて丘を上れば、テレジアン・イエローに彩られた宮殿の全景とウィーンの街並みが眼下に広がり、美しい泉の名にふさわしい素晴らしい眺めを満喫できます。
Stephansdomウィーン大聖堂(シュテファン大寺院/シュテファンスドーム)
ウィーンのシュテファン大聖堂は、その文化的位置付けのみらず、教会としても貴重な存在です。
平日には7回、日曜日には10回行われる典礼。特に最も聖なる日 (復活祭、聖霊降臨祭、クリスマスなど) には、きらびやかに飾り付けられた“シュテファン大聖堂”教会に多くの礼拝者が訪れます。
一般の関心を引く典礼 (結婚式や著名な人物の葬式など) はテレビ中継されることもしばしばあります。このような特別な機会や最も聖なる日にはプンメリン (大鐘) の鐘が鳴らされ、感謝の祭儀の始まりを告げます。
シュテファン大聖堂は、多数の書籍・絵本や研究材料などで取り上げられています。
この大聖堂の独自性と建物を構成する無数のディテールによって、美術史の面からも建築構造的にも非常に貴重な存在になっています。
祭壇、扉、塔、支柱の造形、絵画といったディテールは、それぞれの目的や背景、歴史を色濃く伝えています。
第二次世界大戦末期の火災で深刻な被害を受けたシュテファン大聖堂。破壊された大聖堂は瓦礫と灰と化しました。しかし努力の甲斐あって、たった7年で大聖堂の全部分を再建することができました。
オーストリアの象徴であり、アイデンティティのシンボルが死の淵からよみがえったのです。
この文化遺産を次世代に継承し、荒廃を防ぐためには、今後も慎重にシュテファン大聖堂の改修を行うことが必要です。
1年間に訪れる観光客は約300万人 観光名所のトップに挙げられています。
建物の内部や周囲には、多くの見所や興味を引く事物があります。このシュテファン大聖堂に登ることもできます (南の塔や塔内部の部屋)。また、エレベーターを使ってプンメリン (大鐘) へ上がったり (北の塔)、地下墓地に下りることも可能です。