ロナ
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<絵本や昔話のメッセージを紐解く⑦>
.~ぼくのなまえは イラナイヨ~
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文・絵/ミック・インクペン
訳/角野 栄子
発行所/小学館
<ストーリー>
引越しの日、屋根裏に忘れられたちっちゃなもの。それを見つけた男の人がいった。
「これは、いらないよ」
そうか、ぼくの名前はイラナイヨっていうんだ。
長い間、重たい荷物の下でぺちゃんこになっていたぬいぐるみのイラナイヨは、ぽつんと残された屋根裏で、起き上がった。自分が誰なのかもわからずに。
イラナイヨにねずみが話しかけてきた。ねずみは屋根裏から外に出る場所を教えると、板の割れ目からどこかへ行ってしまった。その後姿を見て、
「あれ、ぼくにもしっぽあったようなきがする。うん、あったあった。」
と、しっぽがあったことを思い出す。その後も、きつねやかえると会って少しずつ自分の姿を思い出すが、橋の上から水に映ったぼろぼろの自分の姿を見て、イラナイヨは悲しくなって自分に問いかける。
「きみは いったい だれなのさ。」
そこに現れたのは、トビーという年取ったトラネコ。そのトラネコが連れて行ってくれたところには・・・。
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この本に出会ったのは10年以上前でした。
「きみは いったい だれなのさ。」
と、イラナイヨは自分自身に2回問いかけるのですが、その場面になると涙がぽろぽろとこぼれて仕方ありませんでした。
その頃の私は、出産を機に仕事を辞めてから専業主婦となり、2歳児の子どもとひっそりと毎日を送っていました。子育てに不安を感じながら、社会からポツンと取り残されたような気持ちを持ってた時期でもあります。そして、ちょうど「読み聞かせ」に出会い、自分の人生が少しずつ動き出し始めた頃でした。
私たちは、生まれる前にさまざまな計画を立てて、どんな役目を果たすのか決めてから生まれてきます。けれど、誕生と同時にすべてを忘れてしまいます。
そして、まるで何も知らないかのように成長し、喜び、傷つき、悲しみ、そして自分とはいったい何のために生きているのか・・・と悩みます。(違う方もいると思いますが、私は深く深く悩みました)深く悩んだ私も、いろいろなことを経験しながら自分の役割や計画を思い出し、今はカウンセラーとして活動しています。イラナイヨが少しずつ自分の体がどんなだったかを思い出すところが、私の経験と重なりました。
私は、とても信頼していることがあります。
「私に届くべきものは、必ず届く」ということです。ただし、100%、全てが届く訳ではありません。場合によってはヒントしかもらえないときもあります。絵本の中のイラナイヨがねずみのしっぽを見て「あれ?」って感じ、「そういえばぼくにもあったような・・・あった、あった」と確信するように、日常の中の「あれ?」っていう事を内観していくと「このことだ!」と気づくのです。
そのような経験を積み重ねていくと、ずいぶんいろいろと知る事ができます。
この本の最後は、持ち主のおじいさん(イラナイヨと遊んでいたときは赤ちゃんだった)と再会したとたん、イラナイヨの頭はビックリ箱のようにパンと開いて、懐かしい思い出が飛び出してくるのです。もちろん自分がイラナイヨではなく、ちびっちょトビーという名前だということも。
ちびっちょトビーはきれいに洗われて修理してもらい、元通りの姿になって生まれたばかりの赤ちゃんのぬいぐるみになります。
ちびっちょトビー(イラナイヨ)は、自分が誰で何者なのかを思い出したとき、本当に幸せだったと思います。元通りの姿に戻り、赤ちゃんの役に立てることよりも。
私たちも、何かのきっかけで、生まれる前に決めてきた計画を思い出すことがあります。それはとても幸せなことです。乗り越えるべき課題もあり、それを辛く感じることもありますが、必要なサポートはあります。何より、山を乗り越えた先の「ありのままの自分」がとても幸せそうで、そこに向かっていく「力」となります。
記事ご提供:ロナの小部屋