ロナ
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<絵本や昔話のメッセージを紐解く⑤>
.~わらしべ長者~
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わらしべ長者
~『日本の昔話① はなさかじい』より~
再話/おざわ としお
画/赤羽 末吉
発行所/福音館書店
<ストーリー>
あるところに、たいそうな金持ちがいて、そこに息子がひとりいた。その息子は遊んでばかりいて、働かなかったので、父親はこの息子に「どこへでもでていくがいい」といいわたす。
息子はあてもなく、とぼとぼ歩いていくと「わらしべ」が落ちていたので、それを拾って歩いていた。そこへ「蓮の葉」売りがやってきて、大風で蓮の葉があちこちに散って困っていたので、持っていた「わらしべ」を渡す。息子はお礼に蓮の葉を一つもらう。
さらに行くと、今度は「三年味噌」売りがやってきて、突然の雨で困っていた。そこで持っていた「蓮の葉」を蓋にするよう渡す。息子はお礼に「三年味噌」をもらう。
さらに行くと、今度は鍛冶屋の前を通る。鍛冶屋が「三年味噌で冷やせば名刀に仕上がるのに・・・」と呟いたのを聞いて、持っていた「三年味噌」を渡す。息子はお礼に、名刀に仕上がった「刀」をもらう。
やがて歩きつかれた息子は、川のほとりで眠り込んでしまう。山犬がわらわらと出てきて息子を襲おうとしたとき、その刀が山犬に切りかかり追い払ってしまった。そしてその様子を川の向こうから見ていた隣村の長者が、息子を娘の婿として向かえ、息子はよく働いて家を盛りたて「わらしべ長者」と呼ばれるようになった。
昔話は単純なストーリーですが、とても深いものがあります。この「わらしべ長者」も、一見、幸運な若者の話のように感じますが、現代の私たちに必要なことを示唆しているように思いました。
まず、怠け者の息子を追い出した父親が素晴らしいです。親は、いずれ子どもを手離すときがきます。そのタイミングは、親子によりそれぞれだと思いますが、サインはあります。子どもが親のいうことを聞かなくなったとき。それが子どもを手離すタイミングなのです。
この父親は息子を追い出しましたが、現実には見守るということだと思います。自分の力で歩き出す子どもを見守る。時には手を貸してあげたり、肩代わりしたくなる気持ちをぐっと抑えて見守ることの困難さ。でも、子どもの成長の機会を奪ってはいけません。それは愛情ではなく、親のエゴなのです。
この息子も素晴らしいです。自分に与えられた成長の機会を、きっちりつかんでいます。
「わらしべ」。最初は何の役に立つかわからない、わら3本です。このたった3本のわらがあったからこそ、その次の「蓮の葉」につながるのです。そして「三年味噌」、「名刀」へ。そして隣村の長者の婿になり、今度は働き者となり「わらしべ長者」と呼ばれるようになるのです。
「わらしべ」をはじめ「名刀」まで、息子は実にあっさりと、必要な人に渡してしまいます。自分の財産はそれしかないのにもかかわらずです。つまり、この息子は自分の持っているものに対して、執着心がないのです。受け取ることも、譲り渡すことも、とてもオープンです。
執着と言うのは、幸運を自分から遠ざけてしまう感情かもしれません。別の言い方をすれば、「自分のこだわり」でしょうか。自分のこだわりが強いと、その「こだわり」から外れるものは届きません。当然の結果として、幸運への道も狭いものになっていきます。
自分を「オープン」にすること。それが幸せへの王道なのです。
記事ご提供:ロナの小部屋