松川サリー
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<スピリチュアル・ロゴス>
.~ワンネス~
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<スピリチュアル・ロゴス>
聞きなれたスピリチュアルな言葉を、新しい観点から解き明かし、本当の概念を復興させていきます。また、言葉を知ることで、魂の真実に近付いていきます。
ワンネスoneness。ジーニアス英和辞典によりますと、単一性、統一性、不変性、とあります。
ミルカさんによる創造者からのメッセージでは、「一体性」と訳されているものがそうです。それは、「総体」であったり、「すべてなるもの」「一なるもの」などと、魂と宇宙について書かれている様々な書物のなかで見かける言葉だと思います。ときに“all that is”とも表現されていますが、こちらは、神、創造者、という意味に重きが置かれるかもしれません。
私たち日本人は、創造者、と聞きますと、いささか馴染みのない一神教の世界を、何気なく感じるのではないでしょうか。システィーナ礼拝堂の天井画、ミケランジェロの天地創造、を思い起こす方もおられることでしょう。
さて、ここで取り上げたワンネスは、直接的に創造者や一体性について何やら語ろう、ということではありません。
「ひとつになるって、結局、個性がなくなることでしょう、個性はいらないんでしょう、個性って消さなきゃいけないの?そんなの嫌だな、おかしいよ」
といった感想を、そこここで耳にすることがあります。
私は、only oneのoneness という表現をよく使わせていただいております。
私たちは、ひとつの「光」から分かれてきました。
そして、ご承知のように、長い時を経て、幾度となく転生を繰り返し、現在まで歩んできたわけです。創造者からのメッセージにあるように、それは、創造者の成長のためです。
私たちひとりひとりは、創造者の一部です。創造者は、私たちひとりひとりの経験を、自身の経験として取り込んでいます。
私たちの歩む道は、魂の親である創造者に戻っていく道です。その意味では、onenessは、個性だとか、私、といった観念は全くなくなるか、ほとんど薄れしまうでしょう。もともと「ひとつ」なのですから。ある意味、私たちもあらゆる個性を全て持っている、という状態です。でも、それはずっとずっと先の話です。そのときには、私たちは、個性がなくなるのは嫌だ、などという心配をするような心情、魂の状態ではすでにない、と思われます。
今の時点で、個別に分かれている私たち魂には「個性」と呼ばれるものがあります。精神面でも身体面でも、また、才能などにそれは現れます。ときに、意見の相違や仲違い、あるいは、差別、といったものにつながることもある性質です。
究極的にはそれらもまた全て自分自身の心の現われである、という意味で、創造者の成長のみならず、私たち自身の学び、でもあります。
今盛んに言われているonenessは、ひとつにつながる、ということです。
その背景を彩っている波動、エネルギーは、ひと言で言えば、やはり「愛」です。
私が使わせていただいているonly oneのonenessを感じてみてください。
ここには「互いを認め合う」という気持ちが込められています。
互いの何を認め合うのでしょう。あなたも私も持っているもの、それは、個別の人格です。ゆえに、個性を認め合う、ということです。さらに言えば、個性が同じ、という人は存在しません。似ている人、共鳴する人、という人はいるでしょう。しかし、全く同じ存在はありえません。私たちは、唯一の存在であり、個別の使命を持って生まれてくるのです。誰一人として、必要のない人などいません。それは、創造者から分かれてきたという事実を踏まえても分かります。
創造者のもとへ帰っていく前に、私たちの魂は、どんどん浄化されなければなりません。浄化されなければ、光の世界へ帰れません。
その浄化、あるいは、シフトアップの一環のなかに、ワンネス、という概念が登場します。そこを飛び越えて、いきなり創造者の世界へ戻って行くことはできません。
私たち全部が包含されているのがoneness創造者の光なのですから、単純に考えても、私たち皆がひとつになることがまたonenessです。今ここでできることは、それ、ではないでしょうか。
ひとつになるには、互いの個性、互いの人生、互いの仕事、互いの能力を認め合うことです。そこには、自分さえよければいい、という思いはありません。自分のほうがより良い、自分のほうが上だ、上になりたい、あいつを蹴落としたい、といった感覚もありません。誰かと比較しません。ゆえに自己卑下もありません。人を誉めるために、自分を低めることはありません。それぞれがぞれぞれの才能を出し合っていける、安寧の世界が広がります。
満たされた思いと愛が広がる世界です。かつて、そのような生活を営んでいた大陸もありました。
日本では、一部若い世代に、そういった感覚が広がりつつあるようです。
非常に魂の繊細な人々です。一見弱々しく見えます。しかし、ピュアです。
ピュアなだけでは何もできませんが、しかし、これまでは、あまりにも乱暴で洗練されていませんでした。野蛮とまでは言いませんが、それに近いものがありました。精神性の話です。
それは、小さなグループからできます。
家族、学校、仕事場、友人関係、コミュニティー、それらが集まったものが社会であり、国家です。国家が集まったものが世界です。地球です。
あなたが誰かの個性を理解し、認めること、そして、自分の個性も愛すること、です。
自分の個性を愛せなければ、人の個性も愛せないでしょう。そこには、自分と違う人を排除しようとする意識が働くだけです。なぜなら、人は、自分で自分を愛していなくても、人から認められないということに敏感に反応し、防御するからです。その防御の意識が、分離を生み出します。
今の段階では、個性が集まったものをワンネスとしてよいと感じます。
個性を消すことなど、全くありません。大いに発揮しましょう。
消すべきは、何でもかんでも自分に帰そうとしたり、自分さえよければいいといった感覚です。人に関心がなく、自分の個性だけを認めさせようとする思いです。それをもって個性とは言いません。それは、いわゆるエゴです。
昔からよく言います。人は支えあって生きている、と。手垢のついた言葉かもしれませんが、真理です。この言葉には、物質的側面が多く出ているように思いますが、時代が進み、さらに新しい感覚に移りました。支え合うことは、認め合うことでもあります。それは、精神的側面がまず前面に出ている霊的価値観です。
まずは、ひとりひとりから、only oneのonenessです。
お互いがお互いを認め合いましょう。
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