この素敵な「思い出ダイアリー」は『スピリチュアル ルネサンス』HPのテキストの中でご紹介している、
松川サリーさんが綴られたものです。チェコの神秘的なエネルギーが、まるで松川サリーさんを
呼び寄せたかのような体験をされているのが、何とも興味深いですね。
松川サリー
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私の、ささやかな、チェコの思い出
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私がチェコを訪れたのは、もうはるか昔、21年前のことです。
湾岸戦争のさなかでした。すでに旅行日程が組まれていましたので、戦争が始まったというニュースを見て、ハラハラしながらも、なぜか、キャンセルもせず、旅行会社からも中止の知らせもなく、旅立ったのでした。
当然、行きも帰りも、飛行機はガラガラに空いていました。
民主化されて間もない東欧諸国を巡る旅でした。
今、こうして、ミルカさん、イルカさんをはじめ、チェコのスピリチュアルと出会わせていただくという機会を得たことも、不思議な巡り合わせ、と言えるかもしれません。
チェコは、とても霊的な場所、そんな感じを受けました。
民主化直後でしたので、これから、という雰囲気の、いささかまだ共産圏の名残りがある、そんな時でした。
プラハで、夜の食事のため、予約してあるレストランへ向かうとき、なぜか、ガイドさんが道に迷って、私たちは、ぐるぐると歩き回りました。疲れていたので、なんとなく文句も言いたくなりましたが、ふっと開けた場所へ出たとき、とっても綺麗な夜空が見えました。そこは、小高い丘の上だったのです。星がいっぱい見えて、本当に美しかった。ずっと見上げていたいと思うほど、それほど美しかったのです。
翌朝「昨日はごめんなさい」とガイドさんがツアー参加者たちに向かって謝ったのですが、私は、思わず大きな声で「とても楽しかったです」とお返事しました。ガイドさんは申し訳なさそうな表情をして、頷いていました。
プラハの街を観光しているときです。
どの通りだったのか、通りの名前は覚えていませんが、そこを歩いているとき、突然「あれ?モーツァルト?」という感覚が私に降ってきました。
するとその直後、「ここは、モーツァルトの映画、アマデウスが撮影されたところです」とガイドさんからの説明がありました。
「ああ、やっぱり」そんな風に思って、一緒にツアーに参加していた友人に、「今ね、私、あ、モーツァルトだ、と思ったのよ」と、いささか興奮気味に声を掛けたのを覚えています。
ウィーンは、当時の面影がほとんどなく、プラハがまさに当時のウィーンの街並みの表情を保っているということで、「アマデウス」はプラハで撮影された、ということでした。
確かに、プラハは、そのまま、あの時代が残っている、そのような風情でした。
そのせいでしょうか。このあと、ウィーンへ入ったとき、友人は、ウィーンの非常に整然とした街並みに、ちょっとがっかりとしていたようでした。ウィーンはとってもステキだよ、と私があまりにも期待を煽る予備知識を入れていたので、余計にそう感じたかもしれません。言うほどでもない、と。
美しいといえば、美しいのですが、プラハほどは歴史を感じる美しさではない、ということなのでしょう。正直、私も、このときウィーンは3度目でしたが、ウィーンて、こんなところだったっけ、と思ったのを覚えています。こんなところ、には、色々な気持ちが込められてはいますが、何と言いましょうか、すんなりしている雰囲気、といったような感覚だったと記憶しています。
プラハの、それまで東欧諸国のなかで守られてきた美しさ、と、何となく感じている神秘的な雰囲気のあとで、私のなかの、ウィーンに抱き続けて膨れ上がっていた憧れや期待、そしてかつて味わった印象が、萎んでしまったのかもしれません。
もちろん、ウィーンも、とってもステキなところです。それには変わりありません。音楽の都、ですし。
プラハからブダペストへ向かう列車(だったと思います)のなかで、ひとりの美しい女性と出会いました。
英語で話しかけると、英語は喋れない様子。そこで、東欧諸国では、意外とドイツ語が通じることを思い出して、「ドイツ語は話せますか?」とドイツ語で尋ねました。すると、話せる、ということで、私とその美しい女性との間の共通言語はドイツ語、となりました。
私も、久々に使うドイツ語を思い出しながら、会話を楽しみました。
神父さんだったか牧師さんだったかになる、と仰っていました。神学の勉強のため、学校へ向かうところだったのです。その日は、学校へ宿泊する、ということでした。
住所を交換し、しばらく文通していましたが、私自身の出産、子育てという忙しい生活に紛れて、いつしか、途切れてしまいました。
どうしておられるかしら。再会したら、私のことを思い出してくれるでしょうか。
お会いしたい気持ちもあります。
プラハのお店で買った、ストールのような大きな布が、今でも大切に家にあります。
帰国時には、ロンドンからモスクワ経由で飛ぶはずの飛行機がなかなか飛ばないというハプニングがありました。「モスクワのクルーと連絡が取れない、なぜか分からない」と機長のアナウンスがあったりして、もしかして革命?帰国できないかも、などと心配していましたが、なんと、クルーが超過勤務だと不満を表明しているという理由が判明。モスクワで交代するはずだったクルーが、そのまま日本へ。しかもモスクワでトランジットすることなく、直行便となって成田へ降り立ち、無事、帰国となったのでした。
このときの旅行では、ポーランドやベルリンからも、さまざまな霊的体験を日本へ持ち帰ってしまったのですが、それはまた、機会がありましたら、お話しさせてください。
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