松川サリー
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<子供を育てるということ>②
.~愛をみつけること~
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今回のイルカさんの講演に「パートナーの調和」がありました。それを受けた形で、ワークショップもありました。
パートナーとの調和、愛の関係がいかに大事なことであるかを熱弁されました。
私は、そのなかで、調和的な愛の関係を築くことのできないパートナー関係の根底にある、人間の愛と心の状態について注目し、それに触発されてこれを書かせていただいています。
なぜなら、私自身、長い年月の間、考え続け、そして、搾り出すようにして答えを見いだしてきたテーマのひとつであったからです。
『愛を発見せずに育った親は、子供が愛を求めてきても、愛がどういうものか分からない』
ゆえに、その子供も愛を知らずに育ちます。
『親が自分の思い通りに子供を育てると、子供の心、感情を意識していないと、子供は自分の心を閉じてしまう』
イルカさんは、講演のなかで、そう語りました。
まさに基本中の基本、と言ってよいでしょう。
これは、親子の関係に限りません。愛を与えられてこなかった人は、人間関係のなかで、人に愛を与えることができません。それを、自分勝手で冷たい人だから、と簡単に括ってしまってよいでしょうか?愛をどう与えたらよいか、その方法が分からないのです。親から十分な愛を与えられずに育ったとしても、もしかしたら、その人は、与えることのできる愛を、エネルギーを、心に、魂に、たくさん持って生まれてきているかもしれません。けれども、それをどう出していったらいいか分からない、ということもあります。分からないがゆえに、遠慮してしまい、いつもタイミングを逸しているうちに、次第に、愛を人に与える、ということを忘れてしまったり、面倒に感じてしまったりするかもしれません。いつもうまくいかないし、いいや、と。
十分に愛を与えられなかった人は、愛を与える方法が分からないのです。
愛を発見するどころか、肉体的に、あるいは精神的に暴力を受けて育った人は、自己防衛本能ゆえに、人を傷つけていくことがあります。自分が傷付く前に、他人を傷付けることを覚えていきます。思わず知らずにしている行為かもしれません。
あるいは、親に愛されずに育った人は、妙に目立った行動を取るかもしれません。それは、他人からの愛が欲しいからです。でも、大抵の場合、成功せず、傷を深めていきます。
私たちが子供を育てるとき、子供を尊重することが大事です。大事です、などというひと言では、その大切さが表現しきれていないことでしょう。言うまでもないことですが、甘やかしたり、恐る恐る相対したり、言いなりになったり、ということではありません。
子供は、ひとつの魂です。親と魂の縁があるからこそ、その親のもとにやってきました。だからといって、親のものではありません。彼には、彼女には、自分の人生があります。親は、その人生の道のりで、手助けをしてあげます。同時に、子供たちは、親にたくさんのことを教えてくれます。たくさんの愛をくれます。
子供の人格を、魂を、しっかりと認めて、理解し、与えてあげるべきものを与えてあげることが、親の役目でもあります。
愛、愛、と無造作に連呼していますが、それが何を意味するかを伝えるには、かなり手間がかかるでしょう。『愛は、言葉では説明し難いほどに複雑な感情だ』とイルカさんも言っています。
親は子供の個性を、社会的常識なるものや、世間体なるものを基準にして押さえ込んでいきます。子供を、とにかく静かにさせておくことで安心する、といった一見、しっかり礼儀作法を身につけさせていますよ的な方法によって、子供の個性はどんどんと縮んでいきます。そして、ストレスも溜まっていきます。
イルカさんの講演「パートナーの調和」では、日本人が、自分の思いを素直に表現することができず、パートナーの間でのコミュニケーションに支障を来たすことの要因に、こうした育てられ方をした背景がある、という説明もありました。
日本では、子供たちは、その他大勢でいることを強いられる一方で、抜きん出る優秀さをも求められています。親の見栄や、ときに自らの人生の不満足への復讐心から、何とか子供を使って、自らのために栄誉を勝ち取ろうとします。
そのどちらもが、愛のない子育てと言わざるを得ません。自分のためと言っても、自分への愛とも違うので、自分自身をも傷つけています。
何を与えるにせよ、その子の個性に合わせて、その子のことを思って為してあげること、それが、親の本当の愛です。そして、親もまた、自分自身であること、本当の意味で自分を大切にすることが大事です。そして、子供のことを一番よく理解してあげることができるのは、誰でもありません、親、なのです。
パートナーの間でも、親子の間でも、そこにあるべき愛とは「思い遣り」という言葉に近いのではないでしょうか?あまりにも平易な言い回しでしょうか?もっと重厚な表現を探しますか?
相手を思い遣ることは、「相手自身」を認めることです。
人間関係が上手くいかないのは、まさに、この認識に欠けているからです。大抵の人が、自分の個性・人格は認めろよ、と思っても、他人の個性・人格を認めません。自分の価値観が第一、第一だけならよいのですが、それ以外ありません。
この認識が、親子関係にも、そのまま当て嵌まっています。
『子供に、愛ではなく、恐怖心を育てている。そして、人を信頼できない、自分を信頼できない、自信のない人間になり、人生も信頼できなくなる』
『愛が足りない、愛を知らない、というだけでなく、ポジティブな感情も失っていく』(イルカさんの講演より)
愛を認識した子育ては、社会的人間関係の浄化と平和に寄与します。
愛情を受けて、個性を大切に、心を閉じずに育った人たちは、将来、恋をして、愛を育み、そして、暖かい家庭を築き、そこからまた、子供を産み、育て、新しい愛を世に放っていくことでしょう。
愛溢れる社会、国家、世界は、家庭から始まります。
さらに、イルカさんは次のようにも言っています。
『愛を見つけるためには、まず、愛が足りないと認めなければならない。認めないと何を変えればいいか分からない』
何かが上手くいかないとき、何かに躓いているとき、心が悲しいとき、傷付いているとき、心が暴れるとき、その状態をまず認めること、そこから逃れようとするのではなく、自分には愛が足りていないのだ、と知ることが、次のステップへの扉を必ず開いてくれるはずです。
自分は親から十分な愛を与えられなかったのだ、と認識することは、辛いかもしれませんが、訳も分からずに逆らったり恨み続けたりするよりも、ずっと良いことです。
自分が愛を欲していることを認めることは、全く恥ずかしいことではありません。自分は愛情に溢れた人間だ、と誰もが思っているか、思い込もうとしているかもしれません。あるいは、誰かと較べて、自分ほうが優しいし、愛を知っている、と思いたいかもしれません。しかし、自分に嘘をついていると、いつまでもそのままです。自分の今の状態を知ること、それに気付いた時点で、すでに愛の補給が始まりますし、誰かにすがって愛を求めるのではなく、誰かに愛を与えたいと思い始めるでしょう。もちろん、時間はかかります。突然明日、何もかも変化するわけではありません。行きつ戻りつでしょう。しかし、気付いたときの心の変化は爆発的変化です。ゆえに「気付く」ということはとても重要で、それ自体が変化、なのです。
人生は、螺旋階段です。螺旋階段は、行きつ戻りつしながら、着実に上昇しています。
そして時間が経って、あらためて、自分を育ててくれた両親に感謝できることでしょう。
パートナー関係の調和に必要な具体的項目について学びたいと思われている方は、ぜひ、イルカさんのワークをお受けになることをお勧めいたします。
ここでは、子育てを通じた愛に特化して、述べさせていただきました。
子育てや親子関係につきましては、さらに述べさせていただけます機会がありましたら幸いでございます。
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