ロナ
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<読み聞かせの世界>①
.~そこから見えてくること~(Part2)
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【たくさんの子ども達に】
複数の子ども達に対する読み聞かせとなると、幼児サークルや幼稚園や保育園、学校のボランティアや図書館での活動グループなど、関わる人も多様になり、少なからず読み聞かせが好きであるという前提になるでしょう。余談ですが、グループやサークルに入る場合は、見学させてもらう事がとても大切です。そのグループの活動内容や雰囲気を確認して、参加するようにしましょう。
複数の子ども達の前で読み聞かせをする場合、重要となるのは、子どもの年齢構成とどのようなシチュエーションで読むのかということです。
具体的な例として、現在私が携わっている、学校での読み聞かせについて話します。
まず学年によって選ぶ本が違います。季節感も大事です。国語の教科書で紹介された絵本や人物、体験活動に関する本を選ぶこともあります。また、昔話や童話など派手さはありませんが、名作がたくさんあるので機会を選んで読むようにしています。派手さがないということは、児童へのアピール度が低いという意味です。見た目の刺激が強い絵本が増えているので、地味に見えるのです。
また、数冊選ぶのであれば、全体的なバランスも考えます。本選びは楽しい作業ですが、反面非常に難しいときもあり、迷い始めると、もうどれを読んでいいのかわからなくこともあります。
そして、もう一つ大切にしていることは、出来る範囲で絵本の世界から飛び出すことです。これは、私がサークルにいたときに指導してくれた先生の教えです。例えば、実在の人物の伝記の絵本であれば、その人物に関するものを用意したり、食べ物の話ならば、実物を見せたりします。絵本の世界から飛び出すといいましたが、二次元の世界から三次元へ、五感で感じるものに変えるのです。絵本を読んでいる時の表情とはまた別の、好奇心いっぱいの表情に変わるのを見ると、読み聞かせの内容がより深まっているのを感じます。
この読み聞かせの時間というのは、実は、児童の素の状態を知ることができる時間です。授業参観で見せる姿とは別の、学校での普段の姿や、そのクラスの状態がとてもよく分かります。
朝、教室に入ると、どんな状態かと様子を見ますが、「今朝は読み聞かせの日だ」と全員の心がまとまっていることなんてありませんから、多少のざわつきがあっても問題ありません。それは読み聞かせの中で吸収できることが多いのです。ただし、選んだ本が合わないと、ざわついたままですが。
1クラス30人弱の児童がいて、大半の子は先生の指導通りに行動します。そして数名が、私に話しかけることを止めなかったり、なかなか準備が整わなかったり、その準備の遅い子が気になったり、ガタガタとひたすら音を立てていたりと、表現方法は様々ですが、自己主張をしてくれます。読み聞かせの時間は限られているので「さあ、はじめるよ~」と実力行使しますが、きっとこの子は何か受け止めて欲しいことがあるんだね、とも感じるのです。時間で仕切られている学校でなければ、何かできるかもしれない。それが、ただ横に座っていることだけ、かもしれませんが。
担任の先生と児童の間に問題がある場合、これはとても深刻です。児童が担任の先生を信頼できないのです。残念なことに、このような問題を抱えているクラスは、読み聞かせに対して全く集中できません。集中できないということは、ざわついているという場合だけではありません。「静かにしてればいいんだろう」的な静けさもあるのです。話に集中して静かなのとそうでない静けさでは、質が全く違うのです。本来なら何でも吸収するようなやわらかい心が、石のように硬くなっていて何も受け付けないような感じなのです。読み聞かせなんかしている場合じゃありません。一刻も早く保護者と学校で話し合いの場を持ち、担任の先生と児童双方の行き違いを整理することと、支援する仕組みが必要なのです。先生を一方的に責めても解決にはなりません。それは問題を大きくするだけです。子ども達の気持ちを先生が理解し対応を変えられるように、丁寧な支援が必要だと思います。
ただし、子どもの人権を無視するような、心無い発言をする教師が確かにいます。このような教師の場合には、担任をさせない処置も必要ではないでしょうか。学校の教室が、担任の先生と児童の密室にならないよう、複数の教師でクラスに関わっていくことも必要だと感じます。
話を読み聞かせに戻しましょう。
読み聞かせが終わったあとで、わざわざ絵本の感想を発表させる先生がいます。そのような先生は、きっとどんな時にも感想をいわせるのだろうな、と苦笑してしまいます。それは授業の中だけで充分です。胸の中のほっこりしたものを、そのままにしておきたいこともあります。言葉で伝えようとしたとたん、そのほっこりしたものが消えてしまった、なんて経験ありませんか?それに、自分の感じたことを言葉にするのが苦手な子もいるのですから。せめて月に1回の読み聞かせの時間ぐらい、どんな感想を言おうなんて気にしないで、リラックスして楽しんで欲しいと思います。
【イベントにて】
平成17年に施行された「文字・活字文化振興法」により、10月27日が「文字・活字文化の日」なりました。近年、この時期に合わせてイベントが行われていますが、平成24年度は、絵本作家の方々が、ご自身の作品を読み聞かせするというイベントがありました。
いくつかの作品は女優や元アナウンサーの方が読みましたが、やはり、作家自身の読み聞かせには心に響くものがあります。滑舌やアクセントがどうこうという前に、その作品に込めた思いがストレートに伝わってくるのです。目で読んだだけではわからない作者の思い、とても感動しました。それに久しぶりに読み聞かせをしてもらう立場になって、心豊かな楽しい時間を過ごしました。
このイベントの参加者は、半分は子ども連れの親子でした。その大半は、小学校に上がる前の未就学の子ども達です。このようなイベントとはいえ、1時間半もじっと座っているのは難しいだろうと、主催者側も出入り自由というアナウンスをして、配慮していました。案の定、後半に入った頃から、ぐずり出す子どもが出てきました。ですが親にあやされて寝てしまうのか、退出したのか、あまり気になりませんでした。ところが、一人の男の子だけ、だんだん声が大きくなってきて、それは会場中の気を引く程でした。その男の子は、何度も「もう帰りたい」と繰り返して泣いていたので、思わず視線を向けてしまいました。3歳ぐらいの男の子を母親が抱きながらなだめていて、隣には厳しい表情の父親が座っています。最終的には、子どもの声がさらに大きく激しくなったので、3人は退出していきました。
あの男の子は、ただ疲れてしまっただけなのでしょう。大きな会場でたくさんの人に囲まれて、自由に動き回ることができません。いつもと違う雰囲気に、緊張していたかもしれません。ステージ上の大きなスクリーンに映し出された絵本は、その子には刺激が強すぎたのかも。とにかく彼には、1時間半は長かったのです。その子の両親は、子どもに良い経験をさせたいという親心から、イベントに参加したのです。そうでなければ、せっかくの休日に両親そろって絵本の読み聞かせのイベントなんて来ないでしょう。「子どものために」という、子を思う親の愛です。その気持ちはこれからも持ち続けて欲しいと思います。そしてもう一歩踏み込んで、子どもの気持ちを受け止めてください。この場面で言えば、子どもが「帰りたい」と泣いたら「じゃあ、お家に帰ろう」と切り上げることです。
私も、子どもが小さい時にこのようなイベントに参加して、同じように子どもに我慢を強いたことがありました。今ならそれがエゴだとわかりますが、当時の私は、先ほどの親と同じに、そのことに気が付きませんでした。子どもも楽しめるはずだと、疑いもしませんでした。「わが子が望んでいること」に思いを馳せることもなく、良いものを与えるのが親の愛だと信じていたのです。
その頃の私の心の奥をさらに覗いてみると、「私は、母親として息子の成長のために良いことしなければ」という思いがありました。要するに、「私は母親としての義務を一生懸命果たしています」と、世間一般に認められたかったのです。「保身」です。私は、保身のために、世間一般に正しいといわれていることを一生懸命していたのです。忍耐強い息子はいつも私に付き合ってくれましたが、息子の気持ちをもっと感じていたら、もっと向き合っていたら、ぜんぜん違う幼児期になっただろうと申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
どうか、私と同じ間違いをしないでください。子どもは成長の早さも違うし、個性も違います。一般的なことが、その子には合わないこともたくさんあります。試すことはいいと思います。ですが、合わないとわかったら、さっさと撤退する勇気を持ってほしいのです。「今、目の前にいる子どもの気持ち」を受け止めてください。子どもは、親の気持ちを受け止めようと、本当に頑張っているのですから。
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記事ご提供:ロナの小部屋