松川サリー
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~続 「出生前診断」と選択的中絶、そして生まれてこない権利とは?~
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ミルカさんの新しい助言は、いつも、とても私たちを救ってくれるものです。
なぜなら、そこには、「悪」の概念がありません。
全ては、成長のため、魂の成長のために仕組まれていること、計画してきたことです。・・・と、そこまでの理解は、たとえ魂の真実について知らないか、あるいは信じていない人にも、ある程度は頷ける話ではないかと思います。
しかし、そこを踏み込んで、さらなる救済を、新しく私たちの世界にもたらしてくれているように感じます。
何をどう決断し、選択しようと、良いとか悪とかいう観点からの評価ではありません。その結果をどう受け止めて、湧き出た感情をどう処理していくのか、ということです。それは、本人と家族のみならず、周辺の人々へも何らかの影響を与えることでしょう。なぜなら、友人、知人、ひいては遠く離れた所の人々が、その人の選択を何らかの価値観に基づいて評価し、またそのことについて、ああでもないこうでもない、と考えたりするからです。
つまり、全ては、個人的なものであり、同時に社会的、ときに世界的、地球規模のものであるということ。その大きな意味での解釈は、私たちへの愛であり、救いであり、進歩、新しい道への導きであるのです。
様々な選択によって苦しむことは、まだまだありますし、それもまた、成長のプロセスではありますが、それを癒し、浄化するための方法が、今、明かされた、と言っても過言ではないほどの、実は、衝撃なのではないでしょうか。
それは、積極的にネガティブを容認することとは違います。何でもいいなら何でもありじゃん、は成長とは違います。
善でも悪でもない、事実がそこにある、という判断の背景には、魂の真実への認識と宇宙や大いなる存在を信じる心があって然るべきです。でなければ、出来事やそれに伴う感情を適切に処理し、浄化することができません。
こうした裁判が起こされて人目にさらされることも、一定の割合で肉体的・精神的に障害を持った人たちが生まれてくることも、自殺という選択をする人がいることも、その状況が、大きなテーマを世間に投げ掛け、そして人々を光へと導く、という俯瞰的視点で受け止めていくことが、私たちの魂を成長させていくことでもあるのだ、という理解が腑に落ちました。
ともすると、どちらが正しいことかと考えて、侃々諤々の論議を展開して、それは悪だ、とエキセントリックになりたくなるかもしれません。自殺しようと思って生まれてくる人はいないとか、中絶は殺人だとか、愛を感じようよと助言するとか、もちろんそういった戒めや言葉添えも大切であり、真実ではあるのですが、出来事自体への評価判断よりも、出来事によって抱いた感情を処理できず、浄化できずにいることのほうが魂にとってより良くない、という宇宙の法則が、どうやらあるようです。
これは、いわゆる宗教的感覚や単なる許しの原理とは違う、一段階も二段階もレベルアップした感覚、魂がどこまでどれほどのことを理解し、知覚しているかということと関連している、いささかレベルの高い感覚とも言えましょう。
魂の真実を知らず、魂は転生しているのだということも知らず、自分の人生は自分で計画してきたものだということを知らない場合、あるいは信じていない場合には、常識と言われる既存の古い物質的考え方にしばられて、自分を責めたり、他人も責めたり、そして、選択した結果、選択できなかった結果で心に闇をつくって苦しみ、それから逃れるために、責任転嫁をしていきます。
自己責任とは、まさに本当はこのことを言うのであって、自分をがっかりさせたり、他人から引き離されたり、冷たい自立のためにあるのではありません。
人生の道を理解して、宇宙とつながっている自分を知ることで、あらゆる出来事を受け止めていく、選択の結果も受け止めていく。それは、言うは易く行なうは難し、かもしれません。が、簡単にできるのであれば、私たちはこのような社会には生まれてこないでしょうし、すでに魂の成長の形態も変化していることでしょう。
新しい感覚には、本物の気高いまでの許しの思い、自も他も、そしてそこに展開している出来事全てを、許容している、認識している、というプロセスが存在しています。
これが、ミルカ・バヴェルコヴァ女史による講演とワークショップ「魂の旅」「転生輪廻」と「光の子供」「光の子育て」から学んだことのひとつ、しかも、かなりコアな部分での私の感覚です。
機会がありましたら、ぜひ、多くの方々に参加していただきたいイベントです。
自分自身の魂について知ることできる知識とワークです。
最後に、日本ダウン症協会理事長・玉井邦夫氏の話を転載します。
「指針は、染色体異常についてカウンセラーが妊婦や家族にどう情報提供するかなど、具体的なことが明記されていない。今後論議してほしい。診断技術が進歩すれば、近い将来、胎児の染色体異常だけでなく、寿命、身体能力まで分かるようになるだろう。自分が望まない子なら妊娠をやめることもできるようになる。ダウン症の子供を産むかどうかだけの判断に限られる問題ではない。そんな時代につながることを考えてほしい」
このようななかで、私たちは、よりレベルの高い選択と認識、そして人生を発見していくのかもしれません。また、それについて学んでいるのでしょう。
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