松川サリー
=最澄と空海の関係=
<ミルカさんとサリーのスピリチュアル対話>
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前回に引き続きまして、延暦寺に関係した質問です。
(サリー)延暦寺を開いた僧侶・最澄は、当時、ライバルと言われていた空海への嫉妬心から、死ぬときの思いに問題があって、魂が浮かばれず、地獄で迷っている、とも言われています。そうなんでしょうか?
(ミルカ)二人はライバルだったということは、その通りです。これは、合っています。
二人が互いを嫌っていた、争っていた、ということではなく、人間として性格が違っていたので、相手をあまり理解できなかった、というのが本当のところです。
最澄は、素直で、はっきりとした人です。頑固でもあります。もしかしたら、自分自身の道に集中し過ぎたのかもしれません。それに少しばかりこだわっていました。自分の道はこれだ!と。少しエゴイストだったかもしれませんね。
重要な人々、権力者たちに好かれたい、彼らに認めてもらいたい、と思っていました。
自分が求めていたことを、彼らに受け取ってほしかったのです。
そして、同じように、空海にも認めてほしかったのですが、できませんでした。なぜなら、空海は、自分の道、自分の教え、を持っていたからです。
空海の教えは、最澄の教えよりも明るくて、それほど釈迦とその哲学にこだわっていませんでした。もっともっと自由な教えだったのです。
ですが、二人の教えに、本来、大きな違いはなく、似ていました。それぞれの性格によって、スタイルが変わったのです。
空海の自由な教えが、世間に認められました。そちらのほうが、優先されました。
最澄の教えは、それほどオープンではなく、閉じられていて、厳しくて、堅いのです。
結果的には、最澄の教えは、空海の教えより良かったかもしれません。厳しい教えなので。
けれども、人に対して厳しかった人であるがゆえに、自分を表す余裕がありませんでした。修練、戒律、の道でした。厳しい道でした。ゆえに、空海の教えの方が、多くの人々に優先的に受け入れられていました。
最澄は、そのことを受け止められなかったのです。個人的に、辛い思いをしていました。
最澄が空海を嫉妬した、というのは、大げさな表現です。
それよりも、空海と戦っていた、教えとではなく、空海自身と戦っていたのです。最澄個人として、空海の教えは納得していました。
最澄が、空海に嫉妬して、地獄に留まっているということではありません。
けれども、間違いなく二人とも、二人の関係のバランスを整えるために、また来世で(転生のなかで)何回も出会います。最澄が自分にとって、あるいは二人にとって、必要なものは何であるかを理解するために、自分の使命を知って、それに集中すればよいのです。そうすれば、相手をライバルとして意識しなくなり、二人とも大きなことができるようになります。次の来世(転生のなか)で理解できます。
(サリー)すでに二人は理解し合っている?
(ミルカ)空海に対して、最澄の魂が学ぶことのひとつがまだ完全ではありません。
二つの魂が、同時に生まれるのは毎回ではありません。
重要な時期に、二人は、同時に生まれることになっています。
それらを乗り越えたかどうか、ライバル的な気持ちを乗り越えたかどうかは、本人に聞かないと分かりません。
サリーさんはどう思いますか?
(サリー)空海は、天皇のお友達で、天皇のところにいて、助けたり、話し相手になったりしていました。最澄は、自分は一生懸命やっているのに・・・という気持ちがやはり強かったのでしょうね。
(ミルカ)それは教えが良かったから天皇が重用したのではなく、人間として、空海の方が、受け取りやすかった、つながりが強かった、ということです。
最澄もがんばっていたし、意志も強かった。がんばったのに、そういう状態になって、辛く、そしてがっかりしましたね。
最澄の学び、教えのほうが良かったかもしれないのですが、空海の方が、受け入れられました。
相手がうまくいっていることを、嫉妬してはいけません。
最澄は、処理できていなかったことを、来世で処理しないといけなくなりました。
(サリー)空海には法力、つまり超能力があって、それで天皇を助けていた、ということも言われていますが。
(ミルカ)空海は、かなり悟っていましたが、それよりももっと自由な教えでした。自分の教えに、宇宙を取り込んだ教えだったのです。
釈迦の教えにこだわっていませんでしたね。宇宙のエネルギーを入れて、それを使って預言をしていました。宇宙、創造者とのワークができていたのです。
最澄に、その能力がなかったとは言えません。しかし、釈迦の哲学に、とにかくこだわっていました。
天皇も、そのことを知っていて、空海といっしょにいれば宇宙から情報を得てそれを使える、ということもあって、空海を重用しました。
もうひとつ情報があります。
そのときの天皇は、預言者でした。空海との関係で、自分も預言的能力を開きました。ある意味、空海の弟子、だったのです。
最澄は、空海よりもより多く釈迦の教えの通りにしていて、今のこの瞬間、この場所に集中する、という教えを大切にしていました。延暦寺で、今でもそれを実感できます。
空海には、預言の力がありました。それは、未来への意図、未来に集中したものでした。
この二つのコンセプトを合わせれば、一番良いと思います。
どちらが正しい、ということではありません。
~サリーのゆるコメ~
私は、むしろ、詩人であり、三筆と言われて書の達人としても名高い空海のほうに、なんとなく心ひかれる者の一人ではあります。
最澄の教えのほうが、釈迦の教えに忠実だったという指摘は、的確ですね。
それにしても興味深いのは、二人の関係性です。
さて、何回生まれ変わって、いささか絡まってしまったカルマをすでに解消できているのでしょうか?
これは、ごく普通に、私たちの転生にも当てはまる関係性ですね。
個性と個性のぶつかり合い、切磋琢磨、嫉妬、様々ありましょう。
天皇と空海の関係へのメッセージも、興味深かったですね。
この天皇とは、嵯峨天皇でしょうか?あえてお聞きしませんでしたが・・・。
空海は極めて自由な人だった。その一方、法をのちの世に伝えるということの使命感、厳しさというものを、最澄は体現していた、のかもしれませんね。
—–*サリーからお願いがございます*—–
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