ゲルハルド・K・ピエロット
2020年4月10日-20日来日決定
ゲルハルド・K・ピエロットは1956年にフランクフルトに近い西ドイツ地方で生まれた。
電気工学、経営管理と経済を学び、経営工学修士号を取得した。
卒業直後に有名なコンピューター製造業者のIBMに採用され、そこでコンピューター支援製造過程を設計し、製造における人工知能の応用という分野で専門家のリーダー、後に主要経理コンサルタントとなった。物事の仕組みを描写する明確なモデルと、好結果を導き出す効率的ツールを好む。
IBMに勤務している時に、私生活で大きな変化が起こった。その結果、瞑想や代替療法を発見する喜びを得た。1988年にオショウ(バグワン・シュリ・ラジニーシ)から最初の瞑想の導入を受けた後、自分が子供の頃から瞑想をしてきたことに気づいた。ただし、当時のドイツではそのような活動が怠惰のこととされ、誤解と中傷を受けた。
ゲルハルドは常に、収入の手段であったIBMでの仕事と、一方で心の中の世界を発見し、異なるライフスタイルを追求していた私生活を、厳密に分けていた。
1990年、農業技術の博士号を取得したばかりの時に、西ドイツの首都であったボンで、ドイツの農業省に勤め始めたペトラ・シュナイダーと出会った。二人はすぐに友人となり、さらにお互いのスピリチュアルワークのためのインスピレーションとなった。プラーナとレイキのようなエネルギーワークを一緒に習っていた。二人も神経言語プログラミング(NLP)の実践者になり、ゲルハルドはさらにパートタイムの代替医療の治療師にもなった。1992年には、このまま仕事を続けたら幸福で充実した人生を送れないと判断し、将来の見通しは無かったが、二人とも退職した。
1992年のほとんどは、代替医療の治療師としての教育に専念した。ゲルハルドは、インドで新しい多くの点において鍼療法よりも進歩した「カラーパンクチャー」(鍼の替わりに色の効果を利用する療法)を勉強していた。1993年にドイツに帰って、フランクフルトの近くにあるダルムシュタットに定住した。そこでは非常に構造化された生活を送り、規則正しく瞑想したり感受性を活用したワークをするなどしていた。
1993年のある朝、ジョギングしてから静かな瞑想を始めたところ、突然にサンジェルマンとのコネクションができ、「アセンデットマスターのパワーをさらに利用してワークを行っていきたいか」と二人は聞かれた。次の日に肯定的に答えたことによって、リヒトウェーゼンの製品にいたる一連の過程が始まったのである。1995年までに他のアセンデットマスターとの集中的な接触を次々と取り続けた。それぞれのマスターが代表する、「人生における特定のアスペクトのバランス」が取れているかどうかは個人的な差があったため、接触するマスター一人当たりに必要な期間が、2週間から3ヶ月という範囲で異なった。接触が終わるところにイニシエーションを受け、そのマスターのエネルギー/情報を水または食物油に注入することができるようになった。それから次のマスターが登場して、イニシエーションまでの間に使える特別な「ワーク用のエッセンス」を作らせた。いつまで続くか見当がつかずに、この過程が繰り返されていた。結局15人目のサンジェルマンから、二人だけのためのワークではなく、人類の意識を高める製品、あるいはツールセットにしなければならないというメッセージを受け取った。小瓶の形や「リヒトウェーゼン」という商標までも教えられた。
この課題を実現させるための資金が必要となった頃、ゲルハルドがいきなりマイクロソフト、TopdeQ、Boehriger-Ingelheimそしていくつかの中小企業から経営コンサルタントの仕事を頼まれた。まさにリヒトウェーゼンへの投資が必要となった時に、副収入が偶然にも現れたことが実に奇跡的なことであった。
1995年には、やっと最後の21番目のエネルギーを習い、リヒトウェーゼンのマスターシリーズ最初の小瓶をオイルとエッセンススプレーとして、地元の店に提供した。マスターとの接触やイニシエーションで受けたメッセージや情報を、三つのバインダーにまとめた。その最初の1000ページ、そして後に続く300ページの内容を「リヒトウェーゼンのマスターエッセンス」という本にまとめ、8ヶ国語に訳された本は14万部を突破した。
ヒーラーの人々の興味の結果として得た成長は、驚異的なものであった。その当時、ホメオパシー、バッチのフラワーエッセンス、オーラソーマしか入手できなかった。
その後の数年間にわたって、別のエネルギーや天使のエネルギーも登場した。天使の波動が非常に高く、食物油などに注入することができないため、香水やクリスタルのような、波動を保存する別の方法が必要になってきた。このように、現代のリヒトウェーゼンの製品系列が、段階的に開発されてきたのである。1998年にゲルハルドは新しい生産施設を見つけ、1999年に会社を「リヒトウェーゼン株式会社」として登録した。株主として、会社のスピリチュアルな次元を認識し、意識のための道具を作っている製作者として、自分の役割を理解している。
2001年にゲルハルドは死に瀕する経験をした。2002年にアドヴァイタ伝統の導師であるマドゥカルに会った。それをきっかけに、人生の深い部分を探り、増強させる必要性を感じて、セイシェルの小屋を3ヶ月間借り、当時はまだ人里離れたこの場所へ、ペトラと共に渡った。程なくパソコンと電話が使えなくなり、二人は実際に孤立した状態でダイビング、瞑想、ハイキングと読書だけをしていた。2003年1月26日の日曜日正午頃、ペトラとゲルハルドは、お互いの目を見ながら、同時に悟りを開いたと言われることを体験した。
2月に二人はドイツに帰ってきたが、前の生活になかなか戻れなかった。会社の経営者にフリーデリケさんを指名し、ゲルハルドは2004~2005年にかけて外国に住んでいた。2006年にドイツに帰国したが、その時から自国以外のリヒトウェーゼン活動を担当している。ペトラはCEO、ゲルハルドは評議員会長の任務を引き受けた。
ゲルハルドとペトラは自由にスピリチュアル界を旅することができる。リヒトウェーゼンの製品にエネルギーを注入すること以外に、ゲルハルドはこの能力を瞑想やこの世を去ったマスターとの接触に使っている。彼は、例えばオショウ、メヘル・バーバー、ラマナ・マハルシやその他のマスターと共によく瞑想している。長年にわたって、多くのスピリチュアルマスターを呼び集め、ほぼ誰でも意識を高める方法と、高次元の意識の効果とは何かを教えるモデルを作り上げた。それを用いて、スピリチュアル界はなぜリヒトウェーゼンのプロジェクトを希望したか、という質問への答えを得た。その後から、グル・ナーナクなどを含む古い系統のスピリチュアル導師であるジェリー・デンソーと出会った。驚いたことに、その古代からの伝統もまた、エロヒムのエネルギーなどゲルハルドが自ら作ったモデルが含まれている要素を知っていたのであった。
近年、ゲルハルドはリヒトウェーゼンにてセミナーを開催することを楽しんでいる。これらのセミナーでは、マッサージから心理療法まで、幅広いセラピー法にリヒトウェーゼンの原理を組み合わせて強化する方法を教えている。それ以外に、瞑想の教師でもあり、より幸せで充実した人生に達する方法を教えている。
ゲルハルドは人生の長い期間、鬱病を患っていた。そこから立ち直る方法を見つけ、スピリチュアル界から多くの贈り物に恵まれている。この貴重な贈り物と、多くのマスターから受けた智恵、そして自分の問題の解決から得た経験を喜んで共有している。今日、ゲルハルドはいつでも静かなる至福に入れることができる。その時の彼の行動は、「周りの人は歓迎されている」、あるいは「評価されている」と感じるほど普通なものである。それでも、彼は今でも技師としての姿勢を維持し、スピリチュアルレベルとつなげる効果的な手段やツールを探している。自分が手段の提供者や助力者であることを理解し、この役目を組織宗教と伝統的なグルの行動から解放された、新しい現代のスピリチュアルの生き方として見ている。
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